ハンガリー文芸クラブ  9月例会 粂 栄美子

Esterhazy Peter ( 1950 4月14日生 )

父  : Esterhazy Matyas

母  : Manyoky Lili

妻  : Gitta   子  : Dora  Marcell  Zsofi  Miklos 

A Sziv Segeidigei (心の助動詞)1985

1 内容 (訳文の一部)

エステルハージの作品の中では、はじめて意図的に序文が付けられている。そのなかで、「私の母が死んでからほぼ2週間がすぎた、ペンを執らなくてはいけない、埋葬の時湧き起こった激しい切迫感、母のことを書こうという気持ちが、死の知らせを聞いたときの、あの腑抜けな無言に戻る前に。」と書いてあることからわかるように、この作品(64頁)は亡き母へのレクイエムである。各頁が死亡通知のように黒枠で囲まれ、上段に本文、下段に引用文が大文字で埋め込まれている。全体の中では前半が、死を前に病院内で伏す母親、葬儀、埋葬の経過が、後半は、死んだ息子に語る母の回想が書かれ、前後半の間に、全頁黒色の紙面に白抜きで、聖パウロのコリント人への第一の手紙の一部が記されている。

息子が母を失ったということは、一方では、母は息子を失ったことであり、後半は死んだ息子に母が語り掛ける場面となる。全体を通して、物語、プロット、Tortenetはなく、小さな出来事、エピソード、esemenyekが綴られ、―前半訳文1(1頁)訳文2(9頁)― 訳文からもわかるように、葬儀を前に久しぶりに会う家族の様子、会話が、身内の誰かをなくした時の奇妙に日常的な(あるいは、その日常性に感情を押し込めるような)有様の中に描かれている。前半、直接母親を語っているところは少ない。― 訳文3、訳文4。後半は、母の少女時代から青春時代にかけての回想の断片が夢物語ふうに語られる。訳文5。後半、最後の6頁は母の回想から、突然、母との最後の場面に移る。この小説最後の頁。訳文6

2、引用文について

  序文の中に、42人の作家名が記されている。ウィトゲンシュタイン、ボルヘス、サルトル、ハンケ、ムジル、カミュ、チェーホフ、バーセルミ、マラルメ、ランボー など。、心の助動詞の引用文リストがあると聞いていたので、(4月に来日の時)94日EPに手紙をだし、入手出来るかどうか依頼する。920日に早稲田みかさんから電話をもらい、ブダペストでEPと会い、ノートを預かってきたので、送付するとのこと。(手書きでメモしてあるけど、なんだか読めない感じのもの ― と、早稲田さんは言っていた。)皆さんに見てもらった後、コピーし、EPに送り返す予定。マルトンに手伝ってもらって、引用文リスト作成したい。

Esterhazy ― Kalauzの冒頭の部分から、EPの引用文についての考え方。

訳文1 から見て、この引用文、カミュの「異邦人」の、あの部分とわかって読むのと、読まないのとでは、どう違うかを、ちょっとみんなで検討したい。

MDB      評論家または読者が、あなたの作品の中の引用句を認識することは重要、あるいは興味ある事でしょうか?繰り返しの引用句は「文学入門」のなかで最も多くでてきますが。その部分を認識して欲しいですか?作品全体にとって重要なことですか?

EP          いいえ、と即答したいですね。ただし、まるで認識出来ない人は、全体の意図から取り残された座標の中で動き、遅れた情報しかもてない、これは別の問題です。私の作品をよく読める人は、当然、いくつかの引用点にきづくと思います。

MDP      いくつかの点で充分ですか?それとも、全てを認識すべきですか?そうしないと、原文にアプローチ出来ないという理由で。

EP          次のように言いたいですね。このブダペストの世界で、この件に関しクイズ・ゲームが始まって、まったくひどいものです。評論家や読者が、誰がどの箇所を見つけ当てたかということで。

MDP      でも、例えば、ある美術館に行ったら、このピカソの作品はルーカス・クラナッハの画題を基にしている、などということは知りたいですよね。

EP          そうですね、でも「扉は開いた」ヨーシカ・ミクローシュ ― これは、結構大変ですね。私は、その効果に興味があるのです。文の体にある異なった体があるということです。確かに、ある意味で、それは文に一体化して、、、

MDP      つまり、文に融合する、、、

EP          ある意味で、別の意味では、やはり異体であるわけで、その結果、文中に振動のようなものが起こる。この振動あるいは震動がとても大切です。ある引用句がもたらすものは、この効果で、引用がただ文に一体化しても、無意味で、一体化しても、一体化しなくても、一体化していないのです。それは、その中に在る方向性で、周囲から解き放たれ、あるがままに作用していて、その方向性は文中の方向性とまったく同じというものではないのです。つまり、ある緊張が発生しているのです。なにも気づかない人はこの震動からもなにも感じず、この震動は私にとって重要なものかもしれません、あるいは、全てのなかでこれだけが重要ともいえます。

MDB      震動にきずかない人、または、どの文も認識出来ない人は、どのみち、次のページであなたを投げ出すでしょうね。

EP          そのことでは、望みを持っていたいのですが。

MOB      一方、文章のなかで震動に気づく読者にとって、その文は突然変化するわけですね、前に進み、後ろに戻り、もう一度作用する。なぜなら、引用句は月の如くにそのまわりに庭園を造り、あなたの文章を照射する。

EP          もちろん、例えば、誰であるか、誰が誰だかを認識したなら、その文章の作者の輝きも作用しはじめるということもあります。でも、それが私の意図と合うかは別で、私は実際には文章と切り離して使っています。つまり、最もぶざまに、最も粗雑に、実践的に、、、カミュの作品にある夜があるのを覚えていますが、その時も、後にも先にも実存主義にも友情にも興味はなく、私には風が掃き清めた清涼な天空が必要だったのです。

『心の助動詞」

訳文 1

お袋が”めっきり弱ってきている”ことは、数年来わかっていたが、親父が電話をよこし、慎重に言葉を選び、今まで聞いたことのない硬い口調で、母さんがこんな、あんなであるから、私の個人的な考えだが“こんな時に”おまえたちが家にいても、つまり、家に戻ってきも無駄にはならないと思うんだがね、と言った時には、私たちは驚いて、一斉にもぐもぐ口篭もり、毎日の後回しに出来ない用事を引き合いにだしたりしたが、これは、私たちの冷淡さや薄情さを表しているわけではなく、むしろ自然な本能のあらわれで、“こと”は“そんなに深刻な”はずはないと言う冷静な判断であり、実際、これまでは、そんなに深刻なことは一度もなかった(親父がよく言っていたように「困ったことがない限り、困ることはない。困ったことがおきたら、困ればよい」ということで)。だが、親父は私たちに向かって怒鳴り、全員が世界の隅々から群れ集まった。

寒い日だ、、、、やっと二人とも服を着終えた時、黒のネクタイを締めている私を見て、彼女は驚いた様子で、誰か亡くなったの?と聞いた。母が死んだのだ、と私は言った。何時?と聞かれたので、昨日と返事をした。彼女は一瞬ひるんだが何も言わなかった。私のせいではないよ、と言い添えたい気持ちになったが、言葉を飲み込んだ。ボスに同じ言葉を言ったのを思い出したからだ。いずれにしても、たいした問題ではない。人間は、どのみち、少しは過ちを犯すものだ。

訳文 2

埋葬の日(ハード・デイズ・デイ)私は朝早く目が覚め、旅行または舞台に出る前のように興奮した。両親の家で私はもはや客人である。親父は物音から私が目を覚ましたことに気づいたが、もう少しだけ一人でいたいということは察せず、ためらいもなくドアを開けた。親父は優しく、よく気がつき、まるで兄貴のようだったが、特別考え事がない時は、たいてい、こうだった。私たちは入浴と朝食の順をいつもどおりの几帳面さで協議し、そのことでいつも予想以上に上機嫌になったものだった。“今じゃ、父さんがお袋さんの代わりだね”と、私が言うと、親父はただ笑っていた。これから、ベーコンエッグをつくり、風呂の湯も入れておくからな、と親父は言った。私は一生かかっても、親父のようにおおらかな人間にはなれないだろう。子どもの頃 “ベーコンあてっこ”、ベーコンが透明になる瞬間をあてようとしたものだった。ベーコンエッグは我が家ではご馳走だった、つまりは、かなり貧しかったのかもしれない、というより、貧しい生活をしていた。

  私はだぶだぶで、記念物的柔らかさの弟のパジャマ 外国製のパジャマ!男物のナイトウェア! を着て、朝食の食卓についた。そのうち、妹も駆けつけ、私たちは家畜のように寄り集まり、どうにか朝の体裁が整った。妹は母親ぶり、私にはこの朝の見せかけが許し難かった。食卓の編籠のなかには、ゆでたまご、ほかに、サーモン、コールドビーフ、貝、エルデイ風のボイルドベーコン、トマト、パプリカ、種々のパン、トーストが並んでいた。夏の残りの休暇を前にした旅行日程とでもいったふうに、私は親父と兄弟たちに、簡潔に、毅然と、教え諭すように、その時が来ても涙を流すのは止めようと諫言した。“鎮静剤は用意してある”と、私は告げた。妹はぎょっとしたような視線を投げ、弟は相変わらず底無しに食べ続け、親父の仏頂面は“男子はそんな言い方をするものでない”と語っていた。

母親たちはこの頃になると心臓の下の生まれ来るものともに極端に体重が増し、黒色の産毛の腹部は光沢のある張りを見せ、胸は実に巨大化し、可笑しいほど不揃いで、乳房とその庭園は粗く、見たことのない褐色で、あらゆる細部は生きていた、重く且つ生き、重く且つ生きていた、、、、

訳文 3

看護婦が指差した私のお袋は、顔は灰色で、鼻には綿が詰められていた、もちろん、止血のためだった。全てが歪んでいた。色彩にもわずかなずれと隔たりがあった。私たちは、ほぼ同時に周囲を見渡し、もっと恐ろしい事、お袋と同室の患者たちとはまるで区別が付かないことにきづいた。だが、彼らが、一体どんな人たちなのか知るすべもなかった、奇妙な、遠い物体、そこからは複雑な屈折で多数の管が現れ、くぼんだ口の間からはヒューヒューと風が吹く。お袋も、まるで機械のように笛音を発し、空気を吸い、それが生きている確認だった。そこには、私たちの見覚えのあるものは何もなかった。

訳文 4

突然、お袋が私の目の前にいた。横を向き、透き通るように白く。膝を抱きかかえているかのように、蹲っていた。額が伸びていた。そのせいか、いくぶん少女のような顔になっていた。好奇心いっぱいの少女、ショーウィンドウに額を押し付けて。その手は寒そうに肩に置かれていた。灰色っぽい髪が額にはり付いている。

誰、あそこに横たわる人は、物、形、黒い穴のなかの灰色のもの? とても馴染みのある、、、親しい人、、、、

「母さん、聞こえますか、母さん、ベアトリーズ、ベアトリーズ・エレナ、ベアトリーズ・エレナ・ヴィテルボ、愛しいベアトリーズ、永遠に失った私のベアトリーズ、ここにいるのは私ですよ、私です、、、」

細胞は世界へと離れて行く。私には見える。私には、それが見える、閉じた、うごかぬ目、その廻りの深く、暗い窩と隈のなかに、広くなった額、最後にくっつけられた異物のように孤立する鼻、膨れた腹、そして髪の毛の灰色っぽさよりも、むしろ、その思いがけないまっすぐさのなかに。髪の毛からは、すでに、生命が飛び立つ、油染み、縺れて、そして、あの灰色のふにゃふにゃの面に垂れる、「いつも退屈し、いつも悲しげな顔をした解剖学者」が顔容と呼んでいる面に。その足にはまだ温もりがあった!!!

訳文 5

この庭は血のかゆだ。いや、そうではない、ちがう、ちがう。おお、神よ、私のなかで花を咲かせてくれ。

息子よ、小さな息子よ。私のちっちゃな息子よ。今は、こんなふうかしら、あなたはあちら、私はこちら、あちらにあなた、こちらに私。私は今、何も考えない。間の抜けた無言で私は息子の死を受け入れた。あなたは死に、そして、私はいない。ずっとこのままだ。あなたは、もういない、でも、いる、死んだあなたはいる。死んだのは、あなた、あなただけ。私の涙は枯れた、でも、あなたの母だ、私が母だと思うと、ひとりでに感動する。時々、私は手の中にある物を落としてはいなかったのかと驚く、突然、あなたのことを思い出すと、こんなふうに感覚が麻痺してしまう。

  あなたの好きでない言葉かもしれいけど、(才気なく、余りにも自己中心的すぎるから)私があなたのことを思うのは、あなたに私のことを思い出して欲しいから。私に苦痛はない、あるのは疲労だけ、衰弱とつのる恐怖。亀裂、これら全て苦痛と呼べるかもしれない。いつもと同じように、困る質問は無言で受け入れる。私の状況をまとめることは出来ない。二つの動きの間に、余りにも多くの事が起き、その間の休憩の間に、すみません、、私の臓物が流れ出るような感じがする。(文体に関しては、もう謝ることはしません。)

一日の中で起きたことを一日のうちに理解することは出来ない。これは、とても困ったことだ。私には自分の居場所がない。この全世界のここ以外にも、、、、

扉の前に出て

東方を眺める

そこに、白色の美しい礼拝堂が見える

外は慈悲深く

家は黄金色

母よ、あなたは何故泣いているのですか?

おお、息子よ、愛する聖なる息子よ

あなたを生んだのは

苦しむ母になるためではない!

この祈りを、朝、晩唱えるものには

死する時、聖母マリアが顕れる。

訳文 6

「ベットは暖かくて、いいね」と母はため息をつく。私は椅子に座り、母の手を、ざらざらして、うろこのような手を擦る。母は眠る。私は母の手の下から、そっと自分の手を抜き、ドアのほうへゆっくり歩く、まだ母が私の横にいるかのように。

「行かないで」

振り向くと、母の顔はふわふわの枕のなかに消えていた、顔は紅潮し、眼は窪みの底で輝いている。私たちは見詰め合う。母は私の場所を作り、私は彼女の体が彫った盥のような窪みに身体を横たえる。私は向きを変え、靴をベッドの横にずり落とす。母が激しく私のほうを向く、熱があるのを私は感じる。母はまた泣いている。私たちは、そのまま動かない。「ね、おまえ」[なに?]「ねえ、おまえ」「ねえ、おまえ」私も言い返す。「ねえ、おまえ」母は、はにかむように、楽しげに言う。「ね、おまえ、トイレット・ペーパー返しておくれ。」私は片肘をつき、身体を持ち上げるが、ペーパーは別のポケットにあった、懸命に奮闘する。母が私の身体を自分のほうに引き寄せたので、肘がくずれそうになる。

燃えているような母の身体を感じる。熱い。「動いたらだめだ、傷が。」私たちは横になる。「もう、行かなくては」「さあ、お行き、おばかさん」私は、もたもた降りる。母の手にキスする。「私は死んでいく」母が言う。「うん、、、」私は答える。「恐いんだよ、ねえ、わかるよね。」私は敷布をしわくちゃにしてしまったことに気づく。